<   2009年 11月 ( 12 )   > この月の画像一覧

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Battistero Neonianoのそばで "Ecco i mosaici !"



Ravenna
をそぞろ歩けば後足で立ち示す犬 ここにもmosaico


(
ラヴェンナを そぞろあるけば あとあしで たちしめす いぬ ここにも モザイコ)


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Tomba di Dante



『新生』を読まぬさきにダンテの墓に遇ふもひとつの縁とぞ知る


(
しんせいを よまぬさきに だんての はかに あうも ひとつの えにし とぞ しる)



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帰国後詠める


読み初めはダンテの『新生』明窓に重ぬる書のかず吉事祈りて


(よみぞめは だんての しんせい めいそうに かさぬる しょのかず よごと いのりて)





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mosaique de colombes






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by Ed.A. Longo snc (2枚)


 ラヴェンナで一番美しいのはサン・ヴィターレ教会(Basilica di San Vitale)だといわれる。石畳の通りを北へ向かうと、塀の向こうに赤レンガの八角堂が見えてくる。広い堂内に大理石のアーチがめぐらされ、内陣が虹色に輝いて見える。そこだけがモザイクで飾られているのだ。
 ルネッタに天の園が広がっている。黄金テッセラの空に赤や青の彩雲がたなびき、川の水が緑の大地を潤す。白百合や赤い花がいちめんに咲き、隅の方に青い孔雀や、愛らしい亀の姿も見える。ところどころに散りばめられた金の粒子が、朝露のように清々しくきらめく。
 じつはこの教会は、朝一番に訪れたサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂とおなじく、六世紀中葉に、同じ司教によって献堂されている。野原の表現が似かよっているのはそのためだろう。けれども、こちらの野原には天使が二人いる。ほっそり引き締まった天使の顔は、青年キリストのかたわらで天国を守る誇りに輝いて見える。


 
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 天井を仰ぐと、サンタンドレア礼拝堂と同じく四人の天使が浮かんでいる。捧げ持つ円板に神の子羊が描かれ、これを果樹の帯がリースのように取り囲む。天使の背後に、色鮮やかな唐草文様が広がる。まるで豪奢なペルシア絨毯が中空に浮かんでいるようだ。
 天使たちはこちらを見下ろすのではなく、ものうげに視線をそらしている。サンタンドレア礼拝堂からさらに半世紀を経ても、ミーランの飛天に通じる東方的な面影は失われていない。
 このサン・ヴィターレ教会がとりわけ名高い理由が、なんとなく分かってきた。ここには今朝からめぐって来たすべてのモザイクが凝縮されている。天の野原も、銀河も、天使も、飛天も。ここに来れば、これまで天使の見当たらなかったお堂にさえ、天使が隠れていたような気がしてくる。
(1999,11,30)


Ravennaてふ西の都に棲まふ天使まどろむ瞳に沙漠の記憶

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夜半の鐘とガラ・プラキディア霊廟の星くづ数へ瞳をとぢぬ

(La campana della notte contando le campane e stelle della Galla Placidia, mi sono addormentata.)




















 

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天使と星空

 ネオニアーノ洗礼堂に隣接する博物館の一角に、五-六世紀の小さな礼拝堂がひとつ移築されている。サンタンドレア礼拝堂(Cappella di Sant'Andrea)、うっかりすると見落としかねない、その小さなチャペルで天使たちに会えた。ヴォールト天井から四人の天使がこちらを見下ろしている。四方から両腕をのばし、キリストを表すモノグラム(組み合わせ文字)を捧げ持つ。おそろいの白いチュニカ(長衣)、灰褐色の翼、皮紐のサンダル。飾りけのない装いがりりしい面差しを引き立てる。

 一人一人の顔立ちには個性がある。ほっそりした穏やかな顔、頬の張った意志の強そうな顔、生身の青年僧にも見えてくる。いまにも一人ずつ違った声色でグレゴリオ聖歌でも聴かせてくれそうだ。
 その一方で、大きな瞳、どこか東方的な顔立ちになつかしさを覚える。記憶をたぐり寄せると、シルクロードのミーラン遺跡で出土した飛天の絵がよみがえってきた。くっきりした二重瞼の眼を見開き、天衣の代わりに翼をつけた風変わりな飛天が…


 飛天の起源は紀元二世紀のインドにさかのぼるという。そのころ飛天には、天衣を着けるものと、翼を生やすものとの二通りがあった。有翼の飛天は、ギリシア風の仏像で名高いガンダーラで産声を上げる。これにはギリシア・ローマの有翼の神々(愛の神アモルや勝利の女神ニケなど)の影響があったらしい。東西の文化がとけ合う、ヘレニズムの薫り濃いガンダーラにふさわしい飛天である。


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『ドイツ・トルファン探検隊西域美術展』図録より

 さて、ミーランの飛天は四世紀ごろ描かれたとされる。彫りの深い顔立ちはガンダーラの仏像を思わせるが、前髪だけを剃り残した髪型は、中国の唐子そっくりだ。これはミーランが地理的にガンダーラと中国の中間に位置しているからかもしれない。ルーツのひとつのガンダーラは、はるかギリシア・ローマとつながっている。

 一方、西洋における天使の本格的な登場は、キリスト教が公認された四世紀以降といわれる。ただし、ギリシア・ローマの有翼神と区別するため、翼は五世紀ころまで表されなかったらしい。しかしやがて、この異教の神々の外見をもとに、サンタンドレア礼拝堂の天使のような有翼の天使が描かれるようになる。


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Riproduzione Vietata(2枚のうち 部分)

 さらに、ビザンティン美術にはヘレニズム、古代アジア、ササン朝ペルシアの影響が流れこんでいる。サンタンドレア礼拝堂の天使から東方の香りがするのはそのためだろう。そういえば天使たちのあいだに、ペルシアの有翼聖獣(ラマッス)を思わせる有翼の生き物が見える。彼らは四人の福音書記家の象徴として描き継がれてゆくことになる。(そのうちの一人、聖マタイは有翼の人間として描かれるので、天使と区別がつきにくい)
 ミーランの飛天とラヴェンナの天使、時空を隔て天翔ける者たち。彼らはともに、東西の文化が融合するヘレニズムの影響を受け、ギリシア・ローマ神話の神々をもとにして生まれたのだった。

(1999,11,30)



石粒の天界に骨まで冷やされてBARで啜る熱き牛乳


(いしつぶの てんかいに ほねまで ひやされて バールで すする あつき ぎゅうにゅう)




石造の御堂のベンチのdue donneヒータよりぬくき声とししむら

             (おばさんら)


(せきぞうの みどうの べんちの ドゥエ ドンネ ひーたより ぬくき こえと ししむら)























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 翌朝は早く目が覚めた。ホテル一階のカフェで朝食。パン、クラッカー、ラスク、バター、ジャムが籠に入って出て来る。オレンジジュースは絞りたて、小ぶりのポットのなかで泡立ったミルクが湯気を立てている。向うの席で、大柄な男性がイタリア式の朝食を摂っている。コーヒーと砂糖ごろものクロワッサンが一つだけ。窓の向こうに、小さなブティックのショーウィンドウが見える。少女が一人立ち止まり、マネキンの帽子やコートを眺めている。

 ホテルを出ると、いちめん乳白色の曇り空。寒々とした耕作地帯をバスで行くこと二十分、平原の真ん中にぽつんと、レンガ造りの聖堂が見えて来た。ひとりバスを降りると、最近植えたばかりのひょろひょろした松並木の先に、飾りけのない聖堂がたたずむ。サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂(Sant' Apollinare in Classe)。街の守護聖人アポリナリスの名を冠した、六世紀半ばのビザンティン聖堂である。


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by ED.A.Longo snc

 開場時間の九時を十分ほど過ぎてようやく扉が開いた。堂内は薄暗く、左手には足場が組まれていて、ここでも修復作業が行われているらしい。重厚な列柱のあいだを歩いてゆくと、アプシス(後陣)のモザイク画が近づいてくる。右手に置かれた箱型の機会に500リラ硬貨を入れると、黄色味を帯びた光が灯った。
 金色の天空と緑の野原が、ルネッタ(半円形の壁)いっぱいに浮かび上がる。天空に円くはめこまれた青空から、キリストがこちらを見下ろしている。野原では、使徒を表す子羊らがキリストを見上げ、聖アポリナリスが祈りを捧げている。すべては、テッセラという四角いガラス片からできている。


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by fotometalgrafica bologna

 緑ガラスの野原にあふれるのどかな光。ひな菊や白百合、赤い野花がいちめんに咲きみだれ、木々の間を野鳥が飛び交う。野原の緑には、濃淡さまざまな青、茶、黄のテッセラが入りまじり、緻密な西陣織のよう。
 これとよく似た絵がローマのマッシモ宮博物館にあったのを思い出す
。リヴィア邸の壁画が館内の一室にそっくり移されていた。部屋に入ると、柘榴やオレンジの木、野薔薇、たんぽぽ、アネモネ、色とりどりの小鳥たち―あの古代ローマの春風が、五百年の時を越えて、このモザイクの野にも吹きわたっている。 
http://ramages2.exblog.jp/22932708/

 ひとつ違うのは、この野原が庭園ではなく、天の園であることだ。天国を象徴する花々、使徒を表す子羊や聖人が神聖さをかもし出している。


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by ED.A.Longo snc

 聖堂の十時の鐘を背中で聴きながら市街へ戻り、ネオニアーノ洗礼堂(Battistero Neoniano)へ向かう。こぢんまりした八角堂で、創建は五世紀にさかのぼる。
 一歩中に入ると、しんとした夜空に迷いこんだ気がした。狭い堂内のいたるところに、濃紺のテッセラが敷きつめられている。壁の下方のものは手で触れることが出来るほど近い。ガラスの断片が歩くにつれてキラキラ光る。紺一色のなかにも濃淡があり、仰ぎ見ると満天の銀河のよう。 夜空に輝く月と見えたのは、金色地の洗礼図。色さまざまなテッセラを巧みに組み合わせて表されたキリストの裸体が、青い水を透かしてしなやかに揺れる。天上を昼から夜へめぐってきたかのような遥かな気持ちに包まれる。
(1999,11,30)


 

金いろの光えてよりラヴェンナの花の草原天に昇れり








 



 






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Va a Ravenna
(ラヴェンナ行)?と問ふ老人にPenso di si(そう思う)!はじめて助くる旅先のひと


(ヴァ ア ラヴェンナ と とう ろうじんに ペンソ ディ スィ はじめて たすくる たびさきの ひと)


 晴天続きのローマを発って3時間、思ったより小さなボローニャ駅で、私はラヴェンナ行きの列車に乗り換えた。ローカル線の2階建て列車は乗客もまばら。窓の外を見ると、斑雪のあいだを胡麻しお頭の雀が、羽毛をせいいっぱいふくらませて行き来している。
 やがて列車は何の前触れもなく動き始め、駅舎を離れて平原に出た。畑の土も草も肌寒い憂愁を帯び、ローマとは別世界に迷いこんだかのよう。淡い雲のたちこめる空は白一色になり、その下に煉瓦造りの農家や畜舎が点在している。枯れ葉を残した葡萄の木が十字型の添え木につかまり、何列も立ち並んでいる。これがときおり窓すれすれに迫ると、人影がよぎるような錯覚を与える。たまに見えてくる柿の果樹園のなつかしい朱色。さびれた駅に着くたび、鈍い音を立てて列車は止まる。


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 ボローニャから二時間足らずで、ラヴェンナに着いた。こぢんまりとした駅舎の正面に出ると、鈴懸の木が立ち並ぶ通りが現れる。白っぽい空を背景に、黄ばんだ葉と丸い実がかすかに揺れている。小さな広場に出て案内板を見ていると、通りかかりのおじいさんが方角を教えてくれた。
 探していた石畳の通りに入る。ローマではオートバイに神経を尖らせたものだけど、ここでは老人も子供も、ゆったりと自転車のペダルを漕いでいる。黄昏のやわらかな空気。携帯電話を並べたショーウィンドーに子供たちが群がっている。
 予約しておいた小さなホテルについて一息つくと、扉のガラスにさっきのおじいさんが映っている。無事に着くまでそっとついて来てくれていたのだった。
(1999.11.29)


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 ”Do you believe in God ?”
 ぎこちない英語の質問。ここはカトリックの尼僧が経営している宿、いまは夕食の時間だ。がっしりとした血色のいいシスターが、泊り客用のテーブルに次々と料理を並べてくれる。
 前菜にはスープ、プリモ(一皿目)にパスタまたはピッツァ、セコンド(二皿目)に肉料理か魚料理。付け合わせにグリーンサラダとふかふかのパン、ドルチェ(デザート)には真っ白なモツァレラチーズの塊、クリームチーズ、果物。これで1,5000リラ(約1200円)とは良心的だ。今日はスープにカッペッリーニが浮いている。天使の髪の毛ともいわれる細麺パスタが胃にやさしい。食卓には色さまざまな髪の女性旅行者たち。この宿には、原則として26歳以下の女性しか泊まれない。

 旅の情報を交換するにぎやかな空気に誘われ、つい輪に加わるうちに、打ち解けてきたのだろうか。私を見つめるシスターのまるい頬に笑みが浮かび、つぶらなハシバミ色の瞳が輝いている。黒いセーターに真っ白なエプロン。ベールもつけず、短く切りそろえた褐色の髪。明るく歯切れのいい声色。どこを押してもローマ下町の気さくなおばさんだ。
 けれど、白いエプロンの胸で銀の十字架がきらりと光る。食堂の飾りけのない白壁にも、木の十字架が掛かっている。そういえば、ドミトリーや居間のそこここにも、聖母子像やローマ法王の肖像画がさりげなく置かれていた。中庭の茂みの蔭には、聖母マリアの石像がひっそりと立っている。

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中庭で


 たしかに私は天使を探しに来ているのだけれど、天使と同じくらい飛天も好きだ。聖書も読んでみたけれど、仏教の経典にも心惹かれる。私なりにシスターに答えるとしたら…
「なにかひとつの尊いものが私たちを見守っている、そのことは信じています。それがキリストなのか、仏陀なのか、あるいは自然そのものなのかは分からないけれど、なにかひとつのものは存在するのではないでしょうか」
 英語があまり得意ではなさそうなシスターに、イタリア人旅行者が通訳してくれた。最後まで聞き終えたシスターはにっこりと頷いた。

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シスターの執務室(壁の写真は当時の法王ヨハネ・パウロ2世)


 やがてローマを発つ朝がやって来た。レセプションの当番は、あのまるい頬のシスターだ。目が合うや何か早口で話しかけてくる。まだ慣れないイタリア語に考えこんでいると、両手を合わせて頬に当て、目をつぶり口を開けて見せる。「よく眠れた?」というジェスチャーだ。尼僧らしからぬお茶目な仕草に笑いがこみあげてくる。
 「食事は美味しかったし、お庭もお部屋もきれいで快適でした。本当にありがとう」
 するとシスターはいたずらっぽい笑みを浮かべ、両手で自分の胸を叩いてる。数秒、ぽかんとしてからひらめいた。
「私たちのことは気に入った?」
そう言いたいのだ。次の瞬間、私はシスターの首に両腕を回し、抱きついていた。二人の頬があたたかく触れ合う。ほっぺとほっぺのキス、心がひとつに溶け合うのが分かる。(ハグという言葉はまだ知らなかったけれど)

 玄関の扉を押して舗道に降り立ち、ふり返ると、表札に”CASA”という単語が入っているのに気づいた。カーサ、家、その通り、なんて家庭的な宿だろう。
 毎朝七時の鐘の音とともに、中庭に通じる戸の鍵を開けてくれたおばあちゃまシスター、テイクアウトの冷めたピッツァを、奥のキッチンの電子レンジで温め直してくれた無口な若いシスター、私たちを九時に追い出した後、部屋を掃除し、ベッドメイキングしてくれた小太りのシスター。そして目の前の…。日曜の夜には全員でテレビを囲み、ロザリオを鳴らしながら鶏のように賑やかに笑いこけていたっけ。
 そうだ、彼女らこそ、巨大な古都の真ん中で神の家に私たちを迎えてくれた、本物の天使ではないか。

(1999,11,29)










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あっけらかんと羅馬の傘松D'Annunzio

雨の松林の陰画なるかも


(あっけらかんと ろーまの かさまつ ダンヌンツィオの あめの しょうりんの いんが なるかも)

(Nonchalantly a pine of Rome looked like a negative of D' Annunzio's pinery.)



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傘松を描いたジノリのカップ a pine tree in Italian tea cup


http://ramages.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-9dfd.html
(Japanese pine forests by HASEGAWA Tohaku)















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アサヒグラフ別冊『ラファエロ』より

 天使の合奏に見送られて突き当りの部屋まで進むと、ラファエロの「聖母の戴冠」に迎えられる。雲に乗る聖母の周りに並ぶ天使たち。演奏の手を休め、よそ見している天使の視線をたどると、空中に六枚の翼を襟のように広げた天使の顔がいくつも浮かんでいる。
 彼らはセラフィム(熾天使)またはケルビム(智天使)。数ある天使のなかで最も位が高く、人間などに姿を見せるわけにはゆかない。そこで、上の二枚の翼で頭を隠し、下の二枚で体を隠し、残り二枚で飛び回る。赤い翼は神への愛に燃えるセラフィムのしるし、青い翼は知恵深いケルビムのしるしだが、この絵では翼の色はさまざまだ。偉いわりに童顔なのは、大人の顔が宙に浮かぶとインパクトが強すぎるためだろうか。

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『The Great Artistsミケランジェロ』 同朋舎 より(2枚)

 システィーナ礼拝堂はみずみずしい色彩にあふれていた。十数年にわたる修復を終えて五年。思っていたより奥行きは少し狭く、天井は近く、上方から絵の人物が落ちてきそうな鮮やかさだ。リビアの巫女の衣は八百屋の店先のアランチャ(橙)色。「神のごときミケランジェロ」というが、むしろ、偉大な人間が渾身で四年の月日を注いだ仕事の質量が正確に示されていると感じる。
 「太陽と月の創造」のさなかの創造主は、忙しく高速で飛び回り、一画面に二度描かれている。日本の絵巻などにもある異時同図法だ。
 その薄紫の衣の陰には、天使が数人寄り添っている。幼くてもがっちり筋肉質なのがミケランジェロらしい。できたての太陽がまぶしくて、天使の一人が腕で光を遮っている。その隣の少年天使の無心でいて自我に目覚めた表情。彼らが成長すると、主の足元の裸体像(イニューディ)のような美青年になるのだろうか。じっさい、これらの青年像を翼なき天使とみる人もいる。


 
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 一方、天井画「創世記」の三十年後に描かれた「最後の審判」の天使たちはどこか老いを感じさせる。審判者キリストの足元に坐る聖バルトロマイは自分の生皮を手にしている。生皮の顔は画家の自画像。その顔はこう言っているかのようだ。
 自分が人間である以上、天使も神も人間の肉体を通して描くしかない。天使に翼などいらない。そんな飾りものはせっかくの肉体を覆い隠してしまうだけだ。風になびく薄衣もいらない。ただ肉体の力だけで飛翔感を表現してみせる。

(1999,11,28)



堂宇満たす絵具の熱き滴りに声高まるや一言
          Silenzio(静かに)!

http://www.vatican.va/various/cappelle/sistina_vr/index.html







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『天使の美術と物語』美術出版社 利倉隆(著)より


 ピナコテーカのがらんとした一室に古雅な音楽が流れている。ヴィエールの柔らかな音色が、リュートのひそやかな響きとからみ合う。タンブリンのちゃらちゃらという金属音が華やぎを添え、太鼓の音がリズミカルに全体をリードしてゆく。ふと音楽がやんだ。我に返ると目の前に湾曲した白っぽいパネルが広がり、奏楽天使の絵の断片が横一列に並んでいる。合奏していたのは彼ら、メロッツォ・ダ・フォルリ(c. 1438 – 1494)という画家の作品だ。

 フレスコ画特有のやわらかく澄んだ青空のなか、天使たちは思い思いのポーズで楽器を奏でる。ヴィエールの弓を軽くつまんだ金髪の天使は、衣裳も、翼も、ふくよかな頬も、西陽に照らされたようにオレンジ色に染まっている。端正な横顔を見せてリュートを爪弾く天使の翼は鳩の羽を思わせるシルバーグレイ。天使たちはどこか遠い目をしている。
 黒い瞳が見つめているのは、今はここにないキリストの姿だ。一人ずつ断片化した天使は、かつてローマのサンティ・アポストリ聖堂の壁画の一部だったという。半円形の壁面の上部に昇天するキリストが描かれ、その周囲を天使たちが舞っていたらしい。パネルがゆるやかに反っているのはそのためだ。

 見上げるような高みに飛翔する奏楽天使。きっと青空から音楽が降りそそぐような感覚を与えたに違いない。あるいは現実の聖歌隊が、天使の歌声を聞かせてくれていたのだろうか。少し時代は下るが、パレストリーナのミサ曲がこれに近いかもしれない。


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「莫高窟壁画からの復元楽器展図録」伊丹アイフォニックホールより


 飛天の音楽ならば、聴いたことがある。敦煌莫高窟のさまざまな浄土図には、楽器を奏でる飛天や菩薩が描かれている。いまから百年前、第17窟からは唐時代の古楽譜が発見された。近年中国の人々は、壁画に描かれた楽器を復元し、古楽譜を参考に作曲・演奏を行っている。1994年には、関西で楽器の展覧会と演奏会も催された。

 そこで聴いた飛天の音楽は、雅楽よりずっと急テンポだった。にぎやかな打楽器のリズムに乗って、踊り子がぐるぐる回る。胡旋舞と呼ばれる西域の舞いは、まるで壁画から抜け出してきたよう。

 天国にも極楽にも音楽が流れていて、演奏者が天使、あるいは飛天と、どちらも天翔る存在なのが面白い。共通点は楽器にもたくさんある。旋律や音色は微妙に違えど、心を慰め、華やがせてくれることは変わらない。どちらかの楽園を選べと言われれば、迷ってしまいそうだ。

(1999,11,28)




ウードより生まれし兄弟のリュート琵琶 飛天と天使の歌物語



蒼天に棲めばこそなるか ともに知る 飛天は五衰を天使は堕落を


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Villa di Livia春の韻ふむ館にて花と
小鳥の壁画にひたる


(ヴィッラ ディ リヴィア はるの いんふむ やかたにて はなと ことりの へきがに ひたる)


In Villa di Livia, you’ re surrounded by nothing but little birds, fruit trees, and wild flowers. Even the name of the villa is an internal rhyme.



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紫苑しとねに元老院の猫春秋しらずただ世紀越ゆ


(ひめじおん しとねに げんろういんの ねこ はるあき しらず ただ せいき こゆ)


Around the Roman Senato, a cat is sitting on a mattress of Erigeron philadelphicus . She doesn’ t know whether it is spring or fall and is slumbering beyond the century.



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Wikipediaより(2枚)










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