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賢治とアンデルセンと白鳥と

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みづうみに冬毎きたる白鳥のいつしか消えて湖も消ゆ  snowdrop

every winter
one swan used to fly
to the lake
it disappeared
and the lake also

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アンデルセン『絵のない絵本』(山室静訳、岩崎ちひろ画)
ANDERSEN BILDERBUCH OHNE BILDER(郁文堂)


アンデルセンの絵本をしばらくぶりに引っ張り出してきた。
いま読み返している宮沢賢治の短歌に
連作十首「アンデルゼン白鳥の歌」(大正七年)があるのだ。
大西久美子氏によると(『アルカリ色のくも』)、
前年の大正六年に『アンデルセン御伽噺』が刊行されていた。
賢治はドイツ語版も読み、ドイツ語を学んでいたという。
なるほど、だからアンデル「ゼ」ンとドイツ語読み!
私も独和対訳『絵のない絵本』で文法を勉強したっけ。
キャンパスの池には毎冬、白鳥が一羽飛来したものだ。


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『宮沢賢治全集3』『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』


「みなそこの…」で始まる一首(連作3首目)は
水彩画「ケミカル・ガーデン(手の幽霊)」(上図右)
を思わせる、と大西氏は述べる(『アルカリ色のくも』)。
賢治にはすでに十代半ばから、幻想的・病的な傾向があった。
「アンデルゼン白鳥の歌」を綴った時は、成人後の22才。
年表を見て気づいたことだが、
おなじ大正七年、萩原朔太郎の『月の吠える』が刊行されている。
(賢治が読んだのは翌年とされる)
大正七(1918)年はスペイン風邪の流行が始まった年でもあった。
賢治は病める時代の申し子であったと言えるかもしれない。


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白鳥めきたる辛夷

賢治の短歌を読み返していて、好きな一首の先駆形に出会うのも嬉しい。

けはしくも/刻むこころのみねみねに/かをりわたせる ほほの花かも(大正6年)

険しくも刻むこころの峯々にうすびかり咲くひきざくらかも(大正6年異稿)

けはしくもそらをきざめる峯々にかがやくはなの芽よいざひらけ(大正7年削除稿)

さながらにきざむこころの峯々にいま咲きわたす厚朴の花かも(大正10年)

さながらにきざむこころの峯々のなかにもここはもなかなかりしか(大正10年異稿)

賢治にとって核となるイメージは「こころの峯々」だった。
そこにひらくのは何の芽、何の花であるべきだったのか。
のちの童話(大正12年作)の挿入歌において、最終的に選ばれたのは
エキゾチックな響きのマグノリアだった。
(クリックしなくても読めます ↓)



マグノリアとは、辛夷、木蓮、朴の総称である。花びらは鳥の羽を思わせる。


おまけ ♪ ラヴェル「天国の三羽の鳥」




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by snowdrop-momo | 2021-04-17 15:17 | Winter(冬の便り) | Comments(0)