4人の少年、4本のキャンドル4(four boys, four candles4)
「愛」の蝋燭*アドベント第4主日(12月24日)
LOVE*Fourth Sunday of Advent(24 December)
ヴァティカンで貰ったヨハネ・パウロ2世の硬貨
the coin of John Paul II that snowdrop got in Vatican in 1999
そもそも、なぜ自分がキリスト者になったかもはっきりしないのだ。天狗めいた異国人の思いがけず柔らかな笑顔や、オルガンの響きや、紅茶の香りや、プレゼピオという人形の家に心奪われ、親にせがんでセミナリオに通うようになった。私はのめり込むたちなのだ。
戦国のキリシタン大名、高山右近 記念聖堂のプレゼピオ*東方三博士の人形▲(2011年)
マルチノがマカオへ発った翌日、右近はマニラへ出航、その地で没した。
Presepio in Takayama Ukon Memorial Church (2011)
Ukon was deported to Manila on the day following Martino's departure to Macau and died there in 1615. ★
リスボンへ向かう船では、釣りに没頭するあまり、釣り針を壊してしまったっけ。しょげる私を励ましてくれたのは、気の優しい甘えっ子ミゲルだった。あの、はちみつのような笑顔…
「ジュリアンは釣りが上手か。さすが海の子ばい。ローマ・カトリック教会の祖、ペトロも漁師だったたい!わいはペトロのごと素直で、ひたむきやん」
a ship from Europe and European people painted by Kano school painters
あるジパングの美術史家は、私がスペアだったのだと述べた。少年は3人しか要らなかったのだ。そのころドイツやオランダがプロテスタントに、イギリスが国教会に改宗し、カトリックから離れて行った。ローマのパパ(教皇)は息子たちを失った…そこへ、はるか東の国から新しい息子がやって来た!それも三人!東方三博士の再来だ!
これは正使マンショの肖像画…2年半の船旅と、冬でも強い南欧の陽射しで、私たちは浅黒く日焼けしていた。けれど、ここまで黒くはなかった。それに、マンショは一番年長だったとはいえ、これほど大人びてはいなかった。このもみ上げの男くさいこと!
この肖像画は、若桑みどりの没後7年目に発見された。ああ、やはり彼女の説は正しかったんだ。ここには年かさの東方博士のイメージが重ねられているに違いない。マンショの絵は、彼女の説を裏付け、彼女の労作に応えたのだ。その赤い唇は、研究半ばにして倒れたイタリア美術史家に微笑みかけているかのようだ。
Here is a portrait of Mancio…true that we have been suntanned during our voyage and stay in Portugal, Spain, and Italy, but not so black! And Mancio did not look so macho. What manly sideburns!
This portrait was discovered seven years after the death of that art historian, 2014. Ah, her hypothesis was correct! The image of senior Magi might be superimposed on his figure. This picture seems to support that hypothesis and smile to the art historian who died halfway through her study on Italian art.
『天正遣欧少年使節の教皇謁見に関する報告書』の挿絵(同展覧会図録)
Avisi Venuti Novamente da Roma delli XXIII di Marzo M D LXXXV.
どうか私を憐れまないでほしい。きらびやかなパレードに交じることも、カステル・サン・タンジエロ(聖天使城)の橋を渡ることもなく、ただ祝砲の音を遠くから聞くほかなかった私を。法王様にハグされ熱い涙を注がれることもなく、フランスやヴェネツィアの公使とともに華々しく旗をかつぐこともなかった私を。(注記:法王は別の日に病床のジュリアンを見舞ったとされる)
誰が知ろう、落胆した者、挫折した者、心に空洞をもつ者こそが、それを埋めるために残りの人生を捧げ尽くすことが出来るということを。挫折は強靭なバネとなるのだ。漁村出の一少年だった私が、マンショとともにマカオに留学して司祭となり、迫害を耐え抜き、信仰を全うできたのは、ローマで枕を濡らす悔しさを味わったおかげかもしれない。
Please do not pity me, the forth boy who could not participate in that flowery parade crossing ponte Sant'Angelo and could only hear the salute of guns from far away. The forth boy who was not hugged by Papa and did not carry the flag with French and Venezian ministers.
You know, those who are dissapointed, discorraged and feel so empty inside CAN devote the rest of their lives to the compensation. You can use the frustration as a springboard! This boy from a fishing village was to study in Macau and become a priest with Mancio and to endure persecution alone to fulfill the faith…THANKS TO the chagrin in Rome, where I drenched my pillow with tears….
4人の少年のうち、殉教したのは私一人だった。寛永10年(1633)、初めての鎖国令が出された年のことだ。私は外国人神父や修道士らとともに、暗黒の穴に逆さ吊りにされた。還暦を越えた老身が何日耐え得たのか、数えるすべもなかった。朦朧として、何も聞こえなくなった耳に、ただ、かすかに、半世紀前に船上で友らと聞いた、山上の説教の朗読がこだましていた。―
「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。天にいますあなた方の父の子となれるように…」
それから374年後の2007年6月、私は教皇ベネディクト16世から福者に列せられた。グレゴリウス13世やシスト5世、そしてペトロに連なる法王様から…。このよき知らせは、その年の10月に亡くなった美術史家の耳にもきっと届いたに違いない。
The forth boy was to be a single martyr out of the four, in 1633, when the first national seclusion order was issued. I was hung upside down over a black hole with foreign priests and monks. How many days did I live, a priest over sixty? In my muffled ears, a phrase was echoing of the Sermon on the Mount I had heard on our deck fifty years before.
“…love your enemies, and pray for those who persecute you in order that you may be sons of your Father who is in heaven…”
374 years later, in June 2007, I was beatified by Pope Benedict XVI. This good news should have reached the ears of that Japanese art historian who died in November in that year.
LOVE*Fourth Sunday of Advent(24 December)
愛こそがすべてと歌ひしビートルズ四本ならぶ蝋燭のごと
All you need is LOVE!
The Beatles sang
like four Advent canldes
in my childhood.
2020年はジョン・レノン生誕80周年です*John Lennon's 80 birthday was in 2020.
すべての人にとって平和と愛に満たされたクリスマスになりますように。希望と喜びに満ちた年が訪れますように
I wish you Christmas filled with PEACE and LOVE, and New Year filled with HOPE and JOY
天正遣欧使節の4人の少年が生きたのは映画「沈黙」の直前の時代でしたが
4人目の少年だけは、迫害に遭って殉教しました。
私も映画をきっかけに、久しぶりに遠藤周作の原作を読み返しました。
自分が棄教しないと、自分以外の人が拷問される…そんな状況で、信仰を守れる人がどれほどいるでしょう。フェレイラの痛みは限りなく人間的な痛みだと思います。
異文化が互いに排除し合うのではなく、より豊かで平和な世界へと広がってゆく、
そんな流れへと潮目が変わってくれることを願わずにいられません。