4人の少年、4本のキャンドル2(four boys, four candles2)

PEACE*Second Sunday of Advent(10 December)

日本経済新聞(左)(NIKKEI, left)
2017年1月、遠藤周作原作の映画「沈黙」が日本で公開された。また、「遥かなるルネサンス 天正少年遣欧使節がたどったイタリア」展が4月から12月まで、神戸、青森、東京を巡回した。菊の節句(9月9日)の朝、新聞にこんな記事が載っていたのをご記憶の方はおられるだろうか。少年使節の一人、千々石(ちぢわ)ミゲルの墓から、ロザリオの一部が見つかったというのだ。彼はキリスト教を棄てたとされていたのだが…
ミゲルは仲間とともにローマ法王との謁見を果たし、イタリア各地やスペイン、ポルトガルで歓待を受け、それらの見聞を伝えるべく帰国した。日本を神の国に変えようと夢見て…
しかし、故国は変わり果てていた。彼らが旅立って数か月後、本能寺の変で信長が倒れ、彼らが帰国する3年前に秀吉がバテレン追放令を出していた。江戸幕府もキリスト教を禁じ、弾圧が厳しさを増してゆく…彼らの没後、島原の乱が起き、『沈黙』の時代が訪れることになる。
Scorsese's film “Silence” was published in Japan on January 21th in 2017. And the exhibition Sol Levante nel Rinascimento Italiano traveled in Kobe, Aomori, and Tokyo. A news was reported on one of the boys of the Tensho Youth Mission to Europe in Japanese newspapers on 8-9 in September. A part of Miguel CHIJIWA’s rosary was discovered in his grave. It had been said that he renounced Christianity early.
He and other two boys had papal audiences, were welcomed in Italy, Spain and Portugal, and returned to Japan in order to report their experiences. But during their trip, Japan was changed. After their departure, Nobunaga was assasined, Hideyoshi promulgated the Purge Directive Order to the Jesuits, and Edo bakufu began the Ban on Christianity and suppression of Christians. After the boys’ death, the time of “Silence” came.
信長(市川海老蔵)「今夜は本能寺!」*Nobunaga (ICHIKAWA Ebizou)(google search)

ミゲルの独白
私もまた天正遣欧少年使節団の正使だった。天正10年(1582)、晴れがましい船出の日、母は涙をこらえていた。私たちは母一人子一人だった。これから命がけの航海になるのだ。母にしてみれば人身御供に出す思いだったろう。出発の前夜、私は母にこう言った。
「そいけん母上、たとえこん身は海の藻屑と消えるとも、それは犠牲の子羊となる事たい。行かんばならん。漁師ペテロが網ば捨て、親ば捨ててイエス様について行ったごと…さんたマリヤ様ば拝むたび、私はきっと母上ば思い出しますけん」
Monologue of Miguel
I also was a senior commander of the Tensho Youth Mission to Europe. On the day of my departure, my mother was trying to hold back her tears. She was a single mother and I was her only child. She should have felt like she offered her irreplaceable son as a human sacrifice to the dangerous trip. I said to her the night before that.
“Mother, even if I will be swallowed by the sea, I should go as a sacrificial lamb. I should leave you like Peter, a fisher who left his family and followed Jesus. Every time I pray to Santa Maria, I will remember you, mamma...”
タコのモザイク*Roman mosaic of an octopus,Villa Giulia, Rome (pinterest)
長い船旅はときに苦しかったが、楽しく充実していた。私たちはラテン語をみっちり学び、チェスで遊び、釣りをした。副使の中浦ジュリアンは海辺の村の出だったから、鰹や鯛を釣りまくり、釣針を壊してしまった。私は生まれて初めて生きた蛸を間近に見た。ぬらぬらした、いぼだらけの、八本足の不思議な生物…こんな醜悪な海獣も、主が創造した物だとは!
「ひどかぁ、ミゲル。わいもゆで蛸、食べるやろー?」
蛸をわしづかみにしたジュリアンが、白い歯を見せて笑った。
Our long voyage was sometimes hard and yet joyful and fulfilling. We practiced Latin, played the game of chess, and enjoyed fishing. A vice commander from a fishing village, Jurian NAKAURA would fish bonitos, sea breams, etc. enough to break a hock. I saw a live octopus so close up for the first time. A slimy, warty marine creature with eight legs…is this ugly monster also created by God?
Jurian laughed while grabbing a slippery octopus!

メダルに表されたグレゴリウス13世(上、図版)
snowdropがヴァチカンで貰ったコインには、ヨハネ・パウロ2世の横顔が…(下、実物)
Do you find a real coin of John Paul II that snowdrop got in Vatican in 1999?
天正13年(1585)、私たちはローマでグレゴリウス13世に謁見した。法王様は感涙にむせびながら一人一人を抱擁してくださった。そして、我らのローマ到着からわずか18日目に亡くなった…。なぜだか、法王様は私たちを見つめながら、どこか更に遠いところを見ておられた気がする。
秀吉の前で演奏されたとされる、ジョスカン・デ・プレ「千々の悲しみ」(舞踏会版)
最初にドロップアウトしたのが私だ。あんなに勉強したのに、マカオに留学できず、司祭になれなかった。私が日本人だから?ゆえなき疑念が心を蝕む。ヨーロッパで浴びた視線のなかに、冷んやりしたものが交じっていたことを思い出す。…いや、人のせいにはするまい。私の信仰が薄かったのだ。母親っ子の私は聖母マリアを慕っても、イエスを神(偉人ではなく)と信じ切ることができなかった。

私は何も信じぬ者となった。無神論者となったのだ。私はパライゾ(天国)からも極楽からも遠ざかり、仕官した藩からも追放され、長崎の町をさまよった。夜ごとの浅い眠りに夢見たものは、遥かなるイタリアでの栄光の日々。目が覚めるたび、故国でよるべない身となっている己を見出し、暗然とした。―
トビウオが銀の軌跡を描いた青い海、甲板上で聞いた山上の説教の朗読、ともに爪弾いたリュートの音色、初めての舞踏会、庭園で浴びた噴水の水しぶき、ムラノ島の職人が飴細工のように拵えるガラス、壮麗なる石の街、動物園、植物園…。すべてが希望の光に包まれていた。
神をも仏をも裏切ったが、友を裏切りはしなかった。このロザリオを握りしめていれば、パライゾ(天国)の友らをインヘルノ(地獄)から垣間見ることがあるやもしれぬ。ああ、もしも平和な信仰の許される日本に帰国していたならば…!

the first map of Japan in the Atlas, 1602 edition (1595, the first edition)

PEACE*Second Sunday of Advent(10 December)
地に平和ことしも祈る待降節いくさと地震とやむ日
知らねど
prego quest’ anno ancora
quando cessarano
le guerre e terremoti
nel mondo ?

「そいけん母上、たといこん身は海の藻屑と消えるとしたっちゃ、それは犠牲の子羊となる事たい。行かんば(ならん)。漁師ペテロが網ば捨て、親ば捨ててイエス様について行ったごと…さんたマリヤ様ば拝む(たび)、私はきっと母上ば思い出しますけん」


