天使の翼(最後の晩餐)
トンネルを出でし窓より刹那みし雪の山村の樅の燈火
(とんねるを いでし まどより せつな みし ゆきの さんそんの もみの ともしび)
(The evening train came out of a tunnel into a snowy village, where I saw in a flash a fir tree twinkling with illuminations.)
暗く細い路地も観光客の歩行者天国だったヴェネツィアを後に、大都市ミラノに到着した私たちは気を引き締めた。列車から降りたとたん、友人はリュックサックを前がけに、私はボストンバックを幼稚園がけにしてチャックを手で押さえた。オートバイのスリを警戒して車道には近づかず、地下鉄ではドア付近を避ける。車内の「スリに注意」のイラスト入りステッカー、他の街にもあっただろうか? 夕食に出るときは、カードと小銭だけをセーターの下の貴重品袋に入れ、手ぶらで黙々と歩く。アルコールも口にせず足早にホテルに戻ると、ロビーの隅にさっきのレストランへの連絡通路を見つけ、脱力した(ホテル別館のレストランだった)。
そんな小心者の二人がミラノに来たのは、レオナルドの「最後の晩餐」とミケランジェロの最後の「ピエタ」とが見たかったからだ。1999年5月に修復を終えたばかりの「晩餐」の見学は予約制になっていたので、出発前に電話を入れておいた。
くすんだ赤レンガ造りのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会、そこにドミニコ派の修道院が隣接している。「晩餐」はこの修道院の旧食堂を飾っているはずだ。ガラス越しに、雨に濡れる中庭が見える。咲き残った淡紅色のバラがわびしげに揺れている。
係員の誘導に従って、予約者二十人が食堂に入った。がらんとした大広間には食卓も椅子もすでになく、突き当りの壁に壁画が残されているばかり。修復によって現れたのは、木炭デッサンのようにかすれ、にじんだ画面である。輪郭線はほとんど失われ、明るく澄んだ色彩だけが点々と並んでいる。
『原寸美術館』結城昌子(著)小学館 より
食卓に銀の皿、パン、果物、魚(柑橘のスライス添え)が載っている。この辺りを切り取るだけで一枚の静物画になりそうだ。窓の外に広がるなだらかな山並みには、みずみずしい青色が蘇った。空はやわらかく霞み、午後遅い陽射しが伝わってくる。けれども、室内の人々は戸外に背を向け、深い憂いに沈んでいる。
©Ministero per i Beni e le Attivita Culturali(2枚)
食卓の中央ではキリストが、右手をワインに、左手をパンに伸ばしている。視線を落とし、口をかすかに開いているのが見分けられる。このなかの一人が私を裏切るだろう―たった今そう告げたところなのだ。弟子たちの間に衝撃が広がる。
キリストの右隣では、ヨハネ(Giovanni)が少女のように瞼を伏せている。そのヨハネに耳打ちしているのは年老いたペテロ(Pietro)。二人の老若の対照が鮮やかだ。他の弟子たちも様々な年齢と身振りで描き分けられている。
キリストが右手で取ろうとしている杯のそばに、一枚の皿がある。その皿に手を伸ばす者がユダ(Giuda)だ。伸ばした手と逆方向にぎくりと身を引き、全身が石のように硬直している。
キリストはユダから顔を背けている。表情はむしろ穏やかで、弟子たちのような怒りや嫌悪はない。
むしろ、表情豊かなのは両手の形である。力が抜けたかのような左手は、迫りくる受難の運命にすべてをゆだねているかのよう。一方、大きく広げられた右手には力がこもっている。何かをつかむように、あるいは突き放すように。
この右手は、ロンドンで見た「岩窟の聖母」の左手を反転させたかに見える。幼子キリストの頭上にかざした聖母の手は、わが子を未来の受難からかばおうとしているようだった。
もっとも、レオナルドは同じ手の形を、さまざまな場面に繰り返し描いたことで知られている。同じ手の形が同じ感情を表しているとは限らない。
キリストの両手の表情の違いは、背反する二つの感情に引き裂かれていることを示すのかもしれない。右手が運命を甘受し、左手が運命を雄々しくつかむ。あるいは、力強い左手はユダを拒否すると同時に、これから彼が犯す罪から守り、許そうとしている…?
レオナルドのキリストは、ユダを憎み切ることが出来ないのかもしれない。あるのはただ哀しみばかり。さまざまな思いが昇華された末の哀しみが画面に広がり、がらんとした食堂にあふれ出て、戸外の雨に溶けこんでゆく。
(「天使の翼 ピエタ」へ続く)