天使の食卓1

天使は霊魂だけの存在なので、食事はしない。ただ天上から降りそそぐ雪のようなお菓子、マナを口にするだけという。ラヴェンナのサン・ヴィターレ教会に、天使がアブラハムの食卓に招かれる場面があるが、このときはアブラハムをがっかりさせないよう、食べるふりだけしたらしい。画面の上方には天使が二人、脚の曲線もなまめかしく、円板を捧げ持って浮かんでいる。「リストランテ+クルス」の看板かメニューに見えなくもない。
Il primo Piatto(第一の皿)
天使の主食がマナならば、イタリア人の主食はもちろんパスタ。その起源には面白い話がある。パスタを作ったのは魔法使いだが、その様子を隣家の女がのぞいていた。女は、夢で天使が作り方を教えてくれたと言い張り、手柄を横取りしてしまったという。そういえば、スープの浮き実に使われる極細の麺カッペッリーニは、英語でエンゼルヘア(天使の髪の毛)と呼ばれていたっけ…
髪のような細麺もあれば、讃岐うどん風の太麺ピーチもある。卵入りの平打ち麺フェットッチーネは、一見着色料入りかと思うほど真っ黄色だが、かじれば黄味の風味が口中に広がる。蝶々形のパスタ、ファルファッレは天使の翼のよう。ただ、この二枚の翼の間にセラフィムやケルビムの顔を想像すると、食欲が減退してしまうのだけれど。

パンもポピュラーな主食のひとつ。パニーノは歯ごたえのある丸パンを使ったサンドイッチでボリュームがある。食パンを使ったトラメッツィーノはお腹に優しく、疲れたときにお勧め。ラヴェンナのサンルーム風のカフェで頬ばった卵サンドのまろやかさは忘れがたい。
そしてピッツァ。ピッツェーリアには、前もって焼いたピッツァを切って温めてくれる所と、一から焼いてくれる所とがある。ヴェネツィアの小運河沿いのピッツェーリアでは、陽気なお兄さんが二人、並んで生地をこねていた。ほんのり塩味のきいた香ばしい生地にシンプルなトマトソース。店内にはピッツァ生地でこしらえたクリスマス飾りがぶら下がっていた。

お米が恋しくなれば、リゾットの本場ミラノで黄金色のサフラン・リゾットを。カボチャの黄色いリゾットは高級感はないものの、カロチンやビタミンが補給できる。米でも一筋芯の残ったアルデンテは、日本でも定着しつつある。
もっとも、ヴェネツィアのイカ墨リゾットは歯ごたえがなくぼやけた味がした。見回せば、お客は私と友人の二人だけ。向こうのテーブルでにぎやかに食事を始めたのは、暇そうなコックやカメリエーラたちだった。

同じヴェネツィアの主食でも、ポレンタはやさしい味がした。トウモロコシの粉を練って焼き色をつけてある。ほんのりした甘みがどんな料理にも合う。フィレンツェではリボッリータというパン入りのリゾットが、凍えた体を温めてくれた。
Il sedondo piatto(第二の皿)
ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(フィレンツェ風Tボーンステーキ)は最上のスタミナ源。炭火で焼いた骨付きのキアーナ牛は切り口が真っ赤で柔らかい。とろけんばかりの旨みを、ハーフ・ボトルのキャンティ・ワインが引き立ててくれる。それでも私たちには二人で一皿が精一杯だ。隣のテーブルではおじさんが巨大な肉塊と格闘中。ラヴェンナのモザイク画を思い出す。アブラハムが天使に出した皿に、仔牛が一頭まるまる載っていた。(この記事のトップ、画面向左)
ゆるやかな丘陵に囲まれたフィレンツェには兎料理もある。トラットリアのミートソースパスタには兎の挽肉が使ってあった。ふつうの合挽き肉と近い味だが、骨か腱のかけらがコリコリ歯に当たる。トスカーナの野山を駆ける兎のしなやかな脚を想像した。

海や川のある町では魚も豊富だ。海の都ヴェネツィアの人気トラットリアで注文した舌平目のムニエル。無口な老カメリエーレが魚の皿をワゴンで運んできて、目の前で鮮やかに骨を外してくれる。そういえば魚はキリストの象徴、にこりともしないカメリエーレは、キリストの遺体を清める天使に見えなくもない。優雅に盛り付けられた皿を前に友人と嘆声をもらすと、空気の和らぐ気配。見ると、彼は口元に浮かぶ笑みを抑えていた。

Il terzo piatto (第三の皿)
『農耕詩』の国イタリアでは、旅の野菜不足に悩むことがない。豆の種類が多く、どれもふっくら柔らかい。エンドウ豆のスープや、インゲン豆のトマト煮は、何度食べても飽きないmamma(ママ)の味だ(ウェルギリウスの『農耕詩』の時代にトマトはなかったけれど)。
フィレンツェのトラットリアでグリーンサラダを頼むと、ボール鉢に山盛りのレタスが出てきた。イタリア人は冬に生野菜を食べないらしい。ひょっとして調理場に余ったレタスを大盤振る舞いしてくれたのだろうか。大量の葉をひたすら咀嚼していると、レタス色の虫が一匹出現!きっと農薬の少ないレタスなのだろう。
(1999.12.25)


