déjà-vuの聖堂(天使と飛天が出会う街3)
ラヴェンナで一番美しいのはサン・ヴィターレ教会(Basilica di San Vitale)だといわれる。石畳の通りを北へ向かうと、塀の向こうに赤レンガの八角堂が見えてくる。広い堂内に大理石のアーチがめぐらされ、内陣が虹色に輝いて見える。そこだけがモザイクで飾られているのだ。
ルネッタに天の園が広がっている。黄金テッセラの空に赤や青の彩雲がたなびき、川の水が緑の大地を潤す。白百合や赤い花がいちめんに咲き、隅の方に青い孔雀や、愛らしい亀の姿も見える。ところどころに散りばめられた金の粒子が、朝露のように清々しくきらめく。
じつはこの教会は、朝一番に訪れたサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂とおなじく、六世紀中葉に、同じ司教によって献堂されている。野原の表現が似かよっているのはそのためだろう。けれども、こちらの野原には天使が二人いる。ほっそり引き締まった天使の顔は、青年キリストのかたわらで天国を守る誇りに輝いて見える。
天井を仰ぐと、サンタンドレア礼拝堂と同じく四人の天使が浮かんでいる。捧げ持つ円板に神の子羊が描かれ、これを果樹の帯がリースのように取り囲む。天使の背後に、色鮮やかな唐草文様が広がる。まるで豪奢なペルシア絨毯が中空に浮かんでいるようだ。
天使たちはこちらを見下ろすのではなく、ものうげに視線をそらしている。サンタンドレア礼拝堂からさらに半世紀を経ても、ミーランの飛天に通じる東方的な面影は失われていない。
このサン・ヴィターレ教会がとりわけ名高い理由が、なんとなく分かってきた。ここには今朝からめぐって来たすべてのモザイクが凝縮されている。天の野原も、銀河も、天使も、飛天も。ここに来れば、これまで天使の見当たらなかったお堂にさえ、天使が隠れていたような気がしてくる。
(1999,11,30)
Ravennaてふ西の都に棲まふ天使まどろむ瞳に沙漠の記憶
夜半の鐘とガラ・プラキディア霊廟の星くづ数へ瞳をとぢぬ
(La campana della notte … contando le campane e stelle della Galla Placidia, mi sono addormentata.)
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