翼だけの天使、翼のない天使

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アサヒグラフ別冊『ラファエロ』より

 天使の合奏に見送られて突き当りの部屋まで進むと、ラファエロの「聖母の戴冠」に迎えられる。雲に乗る聖母の周りに並ぶ天使たち。演奏の手を休め、よそ見している天使の視線をたどると、空中に六枚の翼を襟のように広げた天使の顔がいくつも浮かんでいる。
 彼らはセラフィム(熾天使)またはケルビム(智天使)。数ある天使のなかで最も位が高く、人間などに姿を見せるわけにはゆかない。そこで、上の二枚の翼で頭を隠し、下の二枚で体を隠し、残り二枚で飛び回る。赤い翼は神への愛に燃えるセラフィムのしるし、青い翼は知恵深いケルビムのしるしだが、この絵では翼の色はさまざまだ。偉いわりに童顔なのは、大人の顔が宙に浮かぶとインパクトが強すぎるためだろうか。

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『The Great Artistsミケランジェロ』 同朋舎 より(2枚)

 システィーナ礼拝堂はみずみずしい色彩にあふれていた。十数年にわたる修復を終えて五年。思っていたより奥行きは少し狭く、天井は近く、上方から絵の人物が落ちてきそうな鮮やかさだ。リビアの巫女の衣は八百屋の店先のアランチャ(橙)色。「神のごときミケランジェロ」というが、むしろ、偉大な人間が渾身で四年の月日を注いだ仕事の質量が正確に示されていると感じる。
 「太陽と月の創造」のさなかの創造主は、忙しく高速で飛び回り、一画面に二度描かれている。日本の絵巻などにもある異時同図法だ。
 その薄紫の衣の陰には、天使が数人寄り添っている。幼くてもがっちり筋肉質なのがミケランジェロらしい。できたての太陽がまぶしくて、天使の一人が腕で光を遮っている。その隣の少年天使の無心でいて自我に目覚めた表情。彼らが成長すると、主の足元の裸体像(イニューディ)のような美青年になるのだろうか。じっさい、これらの青年像を翼なき天使とみる人もいる。


 
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 一方、天井画「創世記」の三十年後に描かれた「最後の審判」の天使たちはどこか老いを感じさせる。審判者キリストの足元に坐る聖バルトロマイは自分の生皮を手にしている。生皮の顔は画家の自画像。その顔はこう言っているかのようだ。
 自分が人間である以上、天使も神も人間の肉体を通して描くしかない。天使に翼などいらない。そんな飾りものはせっかくの肉体を覆い隠してしまうだけだ。風になびく薄衣もいらない。ただ肉体の力だけで飛翔感を表現してみせる。

(1999,11,28)



堂宇満たす絵具の熱き滴りに声高まるや一言
          Silenzio(静かに)!

http://www.vatican.va/various/cappelle/sistina_vr/index.html







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by snowdrop-momo | 2009-11-28 22:10 | Italia(北イタリアの待降節) | Comments(0)