飛天の国から天使の国へ(旅立ち)

モンテーニュ、ゲーテ、オードリーのあこがれの伊太利亜へいざ吾も旅立たむ
(もんてーにゅ げーて おーどりーの あこがれの いたりあへ いざ あも たびだたむ)
大聖年2000年まであと1か月。私はカトリック総本山のイタリアを目指す、アリタリア航空の機上にいた。足早に行き来するスチュワードたちの横顔の輪郭は、まるでイタリアのコインから抜け出してきたかのよう。
「フランチェースコ」
仲間の声に一人が振り返る。アッシジの中世の修道士と同じ名前だ。耳をそばだてるが、早口のイタリア語はあっというまに遠ざかっていく。

これから訪れるのは、天使の住まう国。子供のころカトリック系の幼稚園で、月に一度イエス・キリストの伝記絵本をもらっていた。ラ・トゥールの「大工の聖ヨセフとキリスト」や、マンテーニャの「磔刑」などがいまも目に焼きついている。なかでも惹かれたのは、さまざまな絵の片隅でかろやかに翼をひろげる天使の姿だった。その天使たちにもうすぐ会えるのだ。
旅立つ前の一か月、初等文法をかじっていて、なじみの音楽用語のほとんどがイタリア語なのには驚いた。フェルマータ(延長記号)が「停留所」とは…音楽が天使の言葉であると言ったのは、ゲーテだったか。

じつは、天使なんて…と構えていた時期もあった。奈良で育ち仏教美術に親しんでいると、飛天、つまり羽衣をなびかせ宙を飛ぶ天人にしょっちゅう出会う。そのうち、鳥の翼をつけた天使なんて合理的すぎる、と思えてきた。それがキジル石窟より先に天使の国へ行くことになるなんて。
窓の外は天使の視界、雲を見下ろす暗いほど青い空だ。明日から、どんな天使と再会し、どんな天使と新たに出会うことになるのだろう。
(1999,11,25)
Fermataとは停留所 言霊の國より音霊の國へ至れり
(フェルマータ とは ていりゅうじょ ことだまの くにより おとだまの くにへ いたれり)

