4人の少年、4本のキャンドル3(four boys, four candles3)
諫早の茶髪の少年ドラードが活字ひろひて伝へしものは (2020年追記)
歓喜(フロイデ)!万の人の一となり歌ひし第九の季節ふたたび (2020年改作)
玻璃窓を旅せん 長崎 マカオ ゴア リスボン リヴォリ そして羅馬へ
Let's travel in the stained glass from Nagasaki to Macau, Goa, Lisbon, Rivoli and Rome!
私は死んだ。マカオで。中国最古のヨーロッパ植民地で。マカオの港から海を渡れば、2000キロ彼方に長崎の港がある。しかし、私は鳥ではないから海を越えられない。キリスト教はご法度だから、船で帰ることもかなわない。天平の昔、唐で没した阿倍仲麻呂のように、私は西暦1629年にマカオで客死した。
I died abroad…in Macau, the oldest European colony in China. It is about two thousand kilometers from Macau Harbour to Nagasaki Port. But I cannot cross the ocean because I am not a bird. I cannot return to my country because Christianity has been banned. ― I died in Macau in 1629, like Abe-no-Nakamaro who had died in China in 770.
阿倍仲麻呂*Abe-no-Nakamaro on carta(wikipedia)
マカオは、しかし、私にとって親しい土地であった。天正少年遣欧使節団の船は、季節風を待って、この港町に10カ月も留め置かれたのだ。大聖堂や修道院、司教館が私たちを迎えた。日本の南蛮寺とは全く異なる壮麗な建築…そこには、まだ見ぬヨーロッパがあった。私たちはレジデンシアに滞在し、そこから宗教儀式に参列し、音楽を学び、語学を鍛えられた。
これはマンショがのちに綴ったレターだ(下図)。流麗かつ几帳面な筆跡であろう?彼はいつも勤勉だった…
「いやいや、マルチノの暗記力と発音、抑揚には脱帽たい…声もてげ良か……われん朗読を聞くと、力ば湧いてくるばい」
彼は船酔いには強かったが、マカオから出た船の上で熱病に倒れたのだ。
「マンショ、熱はだいぶ下がったけん、きばらんしゃい。ゴアまであと少したい」
Macau was, however, a familiar place for me. Our ship had to stop there for ten months waiting for the seasonal wind. The Cathedral, seminarios, and churches greeted four boys. They were completely different from Japanese wooden churches. These stone buildings were “the Europe” for us, that we had not seen yet. We stayed in Residence and went to mass, learned music and languages.
Here is a letter that Mancio wrote later. Flowing and methodical handwriting, isn’t it? He was always diligent…
“Oh, Martino, YOUR memory, pronunciation, rhythm and intonation are wonderful! …YOU have a fine voice… your recitation always cheers me up…”
He was a good sailor, but he caught a fever on the ship from Macau for Goa.
“Mancio, your temperature is going down, bon courage! We will arrive in Goa soon!”
日本にいる時から、私は語学に長けていた。少年使節の副使に選ばれたのはそのためだろう。ゴアでラテン語のオラティオ(ORATIO:演説)を任されたのも私だった。(その内容は、我らとともに海を渡った混血の少年、コンスタンティノ・ドラードによって印刷されている。c.f.末尾の図版)
生来私は文字というものが好きであった。子供のころから手習いを好んだし、セミナリオでローマ字なるものを見たときは好奇心をかきたてられた。下枝に並んだ小鳥のようなこの不思議な形が、何を意味するのか分かるようになりたい!
(ナイチンゲールのさえずり)
ポルトガル語を習い始めると、その響きにも魅せられた。まるで鳥のさえずりか、音楽を聴いているようだ。琴や琵琶ではない、オルガンやクラヴォの節回しと突き上げるようなリズム…おお、これは我らが馬上で感じるリズムと同じだ。
「マルチノ、あなたは耳がいいですね。ああ、聞かせてあげたい…わが故郷イタリアでは、小鳥もメロディアスにさえずるのですよ」
ヴィオラ・ダ・ガンバのような深い声で、ヴァリニャーノ先生は語った。イエズス会巡察使にしてセミナリオの創設者、我らを少年使節として送り出した恩人である。
When I began to learn Portuguese, I was charmed by its sounds. Just like bird’s song or the music, not the koto-harp or biwa-lute, but the organ and cravo’s melody and rythme…Auftakt (up beat) on my horse’s back!
じつはポルトガル語とラテン語との距離は、日本語と漢文の距離よりもずっと近いのだ。自らの母語に近しい、ゆるぎない拠り所をもつポルトガルやイタリアの人々がうらやましかった。そんな私にヴァリニャーノ先生はおっしゃった。
「ラテン語も大事だが、日本語も深く学ぶべきです。母語は外国語習得の礎(いしずえ)ですから」
司祭になるには、ラテン語で神学や哲学を学ばねばならない。その一方で、外国語の書物を翻訳するために、日本語力も求められる。両者は鳥の双の翼のようなものだ。
「日本人は忍耐強く、理性を備え、古代ローマ人のように優秀な民族です。マルチノ、あなたならきっと東西の言語で羽ばたける」
Latin seemed for me the backbone of Portuguese. This cathedral of language is elaborate and durable going back to the classical antiquity, is the language used in the church and around Papa for everyday conversation…
You know, the distance between Portuguese and Latin is nearer than that between Japanese and Chinese. I envied Portuguese and Italian people who have their Urspraphe (root language), a firm foothold. Padre Valignano said to me.
“True that Latin is important, but you should master Japanese first of all. The mother language is the basis for learning foreign ones.”
While we should learn theology and philosophy in Latin to become a priest, we should translate books in foreing languages into correct and clear Japanese. Japanese and foreign languages are like a pair of wings of a bird crossing the ocean.
”Japanese people are patient, rational, and excellent like the ancient Romans. Martino, you can fly with that pair of wings.”
少年使節の署名入りの書状*You find four boys' signatures on this letter.
これでポルトガル語の辞典を印刷できる!キリスト教の本はもちろん、日本語版『イソップ寓話集』やポルトガル語版『平家物語』『和漢朗詠集』なんてどうだろう?私たちが印刷する本は、日本とヨーロッパの架け橋になるのだ。
私はコレジオを出た後、なつかしいマカオに留学し、帰国後マンショやジュリアンとともに司祭になった。ラテン・ポルトガル・日本語辞典を編纂し、『こんてんむつすむん地』を出版した。また、通詞として様々な政治交渉に立ち会い、顔が知られるようになった。皮肉にもそれが我が身の国外追放へとつながった。
The Gutenberg-style letterpress printing machine arrived in Japan with us! Now wecan print the Portuguese dictionary! Not only the books on Christianity but also…for example, how about Aesop's Fables in Japanese, Tale of Heike in Portuguese, etc.!? The books that we are going to translate will serve as a bridge between Japan and Europe.
After graduating the collegio (Jesuit-founded Japanese college), I studied in fondly‐remembered Macau and became a priest with Mancio and Jurian after returning home. I compiled a Latin-Portuguese-Japanese dictionary and published CONTEMPTVS MVNDI in Japanese. I attended not a few political negotiations as an interpreter, which ironically led to my deportation with my companions in 1614.
マカオ大聖堂のファサードのマリア像は、日本の菊の浮彫で飾られているそうです (google search)
Santa Maria of Saint Paul's Church in Macau decorated with chrysanthemums (Japanese national flower)
みたびマカオへ…東洋と西洋の交わる町へ!仲間とともに国を追われてからも、フランシスコ・ザビエルの伝記を日本語で出版し、『日本教会史』を共同執筆した。日本の同胞の無事を祈りつつ、無我夢中で働いているうち、あっと思うと私は病で天に召されていた。
語学という天職に一生を捧げ、思い出深いマカオの大聖堂地下墓室に、ヴァリニャーノ先生とともに眠る私。故郷へは帰れなかったが、私は、4人の中でいちばん喜び多き人生を送ったのかもしれない。(つづく)
Again to Macau, the town of intersection of the East and the West, where I published Japanese biography of Francis Xavier, collaborated in writing Japanese Church History. While praying safety of my "brothers" in Japan, I worked hard to fall sick and find myself drawn up to Heaven.
I devoted myself to my vocation, translation, and have slept in the catacombs of Saint Paul's Church with Padre Valignano. Although died abroad, I might have led the most joyful life among us, four boys.
JOY*Third Sunday of Advent(17 December)
歓喜!千の聴衆とわが友と歌ひし第九の季節ふたたび
FREUDE!
einmal sang ich die Neun
mit tausend Zuhören
und meiner Freundin…
die Zeit kommt dieses Jahr auch
Bonus*Padova, Advent in 1999*Alessandro Valignano is a graduate of Padova University.
参考文献 📚
若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』(集英社)
鈴木範久『聖書の日本語―翻訳の歴史』(岩波書店)
皆川達夫『キリシタン音楽入門』(日本キリスト教団出版局)
ORATIO HABITA A' FARAD MARTINO(google search)
(To be continued)
(All Rights Reserved)
今日のキャンドルたても とっても愛らしですね。snowdrop さん いったい何か国語をお話になるのですか、、、 知ってる限りでは 日本語、英語、フランス語、そして今日のポルトガル語とラテン語、、、もしかして 他にもありますか?^^
母がドイツで選んだキャンドルの天使、ほめてもらって喜んでいます♪
ポルトガル語、残念ながら勉強したことが無いんですけど
お隣のスペイン語と似ているので、ラテン語との関係を推測してみました。
ラテン語、話せたら、ヴァチカンで働けそうですね!?
色んな国の詩文を原語で読みたくて、色んな言葉をかじってきました。
これからも記事に合わせて作文してみますので、探してみてくださいね。
ポルトガル語は、わたしは2006年の旅行前に1か月かじっただけですが、フランス語やスペイン語同様、俗ラテン語から発展・変容してできた言葉ですから、語彙や文法は他のロマンス言語とかなり似ています。イタリア語よりも、お隣だけあってスペイン語との共通点、類似性が高いのですが、スペイン語と違って、発音やイントネーションがイタリア語とはかなり違うので、聴いて相手の言うことがわかるようになったのは、3週間の旅の2週間目くらいからではなかったかと思います。
お忙しいなかお越しくださり、拙記事を読んでくださってありがとうございます。
貴ブログの過去記事も参考にしてポルトガル語とラテン語について書いてみました。
そこへコメントを頂戴して、有難く、光栄に思います。
ポルトガル語はNHKのBSニュースにもなく、発音やイントネーションが違うというのは
私にとって新しい情報でした。
かつてはイタリア語のニュースも放映され、革ジャンの女性アナウンサーなどの声が聞けたのですが、数年前から枠がなくなりました。
スペイン語はイタリア語よりやわらかな印象ですが、ポルトガル語よりはイタリア語に近いのですね。なるほど…
この記事は史実に基づいていますが、
アルファベットへの憧れや、音楽への言及などには
私自身の体験や実感が反映されています。
naokoさんのように、映画も興味の源の一つです。
これからも貴ブログから色々学ばせて頂くのを楽しみにしています。